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Diary

ロベール・クートラス展と堀江敏幸さんの言葉

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展示会初日の美術館に行ったのはいつぶりだろう。渋谷の松濤美術館で、2月8日(日)〜22日(日)まで開かれる「ロベール・クートラス展 夜を包む色彩」。ロベール・クートラスの作品が見たくて、そして作家 堀江敏幸さんとクートラスの遺作管理人 岸真理子・モリアさんの対談が聞きたくて、会期初日に勇んで出かけてきました。

クートラスの持つ魅力を教えてくれたのは、堀江敏幸さんの『一階でも二階でもない夜 ― 回送電車 II』のなかに納められた小さなエッセイ「無心論者の聖人」でした。

 

“誰それに似ているとか、誰それをを連想させるといった標語が意味をなさないある種の無名制への希求と、いつまでも輝きを失わない健康な幼児性がそこにはひろがっている。”
『一階でも二階でもない夜 ― 回送電車 II – 無神論者の聖人』堀江敏幸

 

大きな意味や主題を抱えているようなものとは異なる、小さな個人のもつ記憶の片隅を切り取り、そうした記憶を真摯に心地よい日本語として届けてくれる堀江さんの文章は、ぱっと見ただけでも人を惹きつける作品の力がありながら、言葉にすることが難しいごく個人的な絵描きの魅力を、何倍にも増したものにしてくれます。

堀江さんはクートラスのことを、2003年に芸術新潮の編集者に銀座のギャラリーでの個展を紹介されたことがきっかけで知り、前述のエッセイはその個展の直後に綴られたそうです。今回の対談で1番に感じたのは、堀江さんの口から語られる言葉が、12年前に出会ったばかりのクートラスを語る文章と、全く同じ空気感を持っていたこと。対談はまるで、堀江さんのエッセイと岸さんが綴られたクートラスの半生を描いた『クートラスの想い出』を交互に読み聞かせてもらっているような、幸せな時間でした。絵描きを知った直後に綴られた文章と、その12年後に語られる言葉が同じ空気感を携えていることにとても感動しました。

これからもクートラスの魅力に触れたいときは、堀江さんと岸さんの著作を読み返すようにしよう。

 

松濤美術館での展示は、これも堀江さんの言葉を借りれば、「小さな乱雑なアトリエにいた身近なクートラスが正装をして出て行った」ような展示。それは悪い意味では全くなくて、作品を通してクートラスの記憶と真摯に向き合えるとても良い緊張感のある展示でした。

物や情報が溢れる時代に、彼のようなごく個人的な営みを貫いた人の人生が表れた作品に触れる。決して生半可な生涯ではなかったのだと思うけれど、だからこそ作品には、心に突き刺さる力を感じます。

展示会の目録が、デザインも紙の素材も今回の展示会にぴったりの慎ましくて素敵なものでした。mina perhonenのHP等もデザインをされている方による装丁のようで、こちらもお勧めです。初日はお客様も多くてゆっくり見れなかったので、会期中にまた伺いたいなと思います。

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