menu

Column / Item Column

プロヴァンス民陶の香り、アプト焼

 

18世紀半ばの勃興以来、アプト、及び近隣カステレの村で地場産業として拡がり、小さくも奥深い独自発展を遂げた陶器、アプト焼。

地図(Click!

ノーブルな優雅さを湛え、同時に土地の気候・風土が生んだ大らかさを優しく纏い、全体を調和させているのは「カタチ」の高い精度だと思います。

革命前後のプロヴァンスという時代・立地の特異性を背景に、貴族の要望に応え、ブルジョワ的感性をやがて加えながら、可逆性が高いヴォークリューズの恵まれた土壌で、モデラーや陶工の感性・技術力は美しく豊かに育まれました。

稀にアプト窯という呼称を見かけることがありますが、複数の陶工、経営者の窯が別個に存在したことからも、アプト焼(Faïence d’Apt = アプトのファイアンス陶器)と呼ぶのが適切だと思っています。※1

最初期のムーラン家(及びフーク家、アルヌー家)一族、第二世代において代表的なボネ家一族、あるいはクーピニーやセイマール等々。18〜19世紀の期間だけ見ても、窯は村近郊に30を越えて存在しました。

クープランではアプト焼を象徴する黄釉の品の紹介が主ですが、他に橙釉、マーブル釉、僅かな白釉(伝来では一窯のみ)等が存在し、陶厚や釉質、焼成感も多種多様です。

殊に19世紀の活況は顕著で、それは1830年代以降、窯稼働数においては、当時廃れかけていたムスティエ焼を超えていることからも、読みとることができます。

言葉は文化を手繰り寄せるヒントとなり、同時に視野を狭める危ういピットフォールにもなるということを、アプト焼の奥深さを知るにつけ感じます。

ファイアンス、ファイアンスフィーヌといった用語では括れない、微細でいて確かな個性。差異が教えてくれること。古手、あるいは小規模な窯の品となると目にすることすら稀ですが、その作陶の豊かさからは、流行や地域性に即するだけに留まらず、拘りと誇りをもって窯業に携わった、かつての陶工たちの気配をひしひしと感じます。

個人的嗜好による物選びを積み重ねながら、異なる時代・国に生きた人々の暮らし(生態系)に潜り込んでいき、内側から文化を眺めたいと夢想します。自分なりの答え合わせは、古物に携わるにおいて、しあわせな時間の1つです。

1点モノのアプト焼を手元に残せる機会は、店屋ゆえに殆どないけれど、写真は数少ない私物品より。
それぞれお気に入りです。

※1 これはムスティエやヴァラージュの村の陶器にも同じことが言えます。例えばクレイユやモントローのように単一経営の場合は、フランス語でファイアンスリー(Faïencerie de Creil / de Montereau )を用いるように、窯の呼称も馴染みます。リーはパティスリーやプーランジュリーに代表されるように「〜屋、〜店」のニュアンスです。

 


 

Plat octogonal
Bonnet du Pont vers 1810-1840

Tasse à anse
Jules Reybaud vers 1850-70

Related posts

テキストのコピーはできません。