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追憶、アンシャンレジーム下の初期ファイアンスフィーヌ

 

18世紀、1700年代半ば〜後期に作陶された初期ファイアンスフィーヌに個人的に感じるのは、権威的でありながらも儚げな美しさです。

1700年代初期のフランスの中上流階級の人々が用いた食器には、主として「ファイアンス製陶器(淡黄色の土の上に白錫釉をかけた厚手の焼き物)」と、限られた貴族のみが所有することができた超高級な「磁器」「銀器」がありました。

そんなフランスに、1700年代半ば、当時ウェッジウッドを筆頭に陶器製造の最先端国だった英国の「クリームウェア製陶器」が流入。繊細優美で革新的なクリームウェアは、当時のファッション感度が高い貴族、台頭してきていた有産市民層(ブルジョワジー)たちの羨望の的となりました。

1740年代頃より、クリームウェアに倣った英国式の陶器が、フランスのパリや、ロレーヌ地方(当時のロレーヌ公国)で作陶されるようになります。後世において「ファイアンスフィーヌ」と呼ばれることになる陶器文化の興りです。

当時、フィーヌは「薄い」という意味で、フランスで作陶された英国式陶器の特徴を表すにおいて用いられることがあり、それが独自発展を遂げるなかで、「上質」という意味に転換され、ファイアンスフィーヌの一語として定着しました。

きめ細かな陶肌、白、あるいは象牙色を素地にして、ごく薄い透明釉を施し低温焼成したフランスの上質陶器ファイアンスフィーヌの歴史は、大きくは2期に分けて説明することができます。

即ち1700年代半ば〜後期、革命以前、アンシャンレジーム(旧体制)における『貴族的なファイアンスフィーヌ』と、1800年前後頃、革命以後の市民社会における『ブルジョワ的なファイアンスフィーヌ』です。

そしてそのうち、初期の貴族的なファイアンスフィーヌ固有の特質をあげるなら、1つには、技術面における「英国の模倣」と、模倣故であろう仕上がりの「不安定さ・不均一さ」があり、もう1つには、装飾(様式)面における「フランス貴族のロココ的感性」の導入があると思います。

 

 

模倣という立場、つまり技術の発展途上だからこそ、この時代の英国式陶器の陶胎や施釉には不安定さを孕んでいます。ですが不均一な歪みやムラは、当時の陶工の苦心の証であり、そこには全てを掌握できていないなかで生まれた、自然で有機的な色気があります

比して装飾性は極めて精巧かつ微細です。

銀食器からインスピレーションを受けた、ロココ調の曲線的なモデリングや植物文レリーフは、未だブルボン家主導による絶対王政下にあったフランスでこそ独自発展しました。その様相はまさに流麗典雅と呼ぶべきものです。

ただ、そう遠くない未来、市民革命により、ロココ様式が貴族を想起させる退廃的なものとして唾棄される歴史を、現在において知っているからこそ、発展途上にある仕上がりの雰囲気も相まり、その装飾性には、むしろ言い知れぬ儚さを個人的に感じてしまいます。

先んじて成立した市民社会という背景があってこそ貴族用磁器だけではなく、ヨーロッパにおいてはより安価で量産に向いていた陶器の近代化に成功し、フランスへと流入してきた英国のクリームウェアは、一度は王侯貴族に囲われながらも、やがてブルジョワの手元に渡りとなり、仕上がりの安定と共に作陶最盛期を迎えるというプロセスは、フランスの市民革命の、工芸における先駆的な内在性と発露とも言えるかもしれません。

一般的な古物市場において、この種の陶器が博物館のようにコンプレ(食卓用セット一式)で揃っていることは皆無に等しく、寧ろたった1点や2点が、欠けたり割れたりすらした状態で唐突に姿を見せることが殆どないことも、その儚さをより印象付けます。

いえ、思い返してみれば、そうした状況・状態で見つけたときにこそ、この種の貴族的なファイアンスフィーヌに心惹かれ、クープラントとして手に取っているだけのような気もします。それは或いは、個人的な歪曲した嗜好に過ぎないのかもしれません。

高尚性や希少性なんて傍目にはとうに剥がれ落ちた古陶器が、ただ無垢に、未だ健気に佇んでいる姿を眺めながら、かつての生きた人々の盛者必衰の物語に想いを馳せる。

そこにクープランなりに惹かれる美しさがあります。

 


 

窯々

初期ファイアンスフィーヌにいて、特筆すべき窯としては、パリの「ポントシュー」があります。

1743年、パリに工房を構えていた陶工エドメ・セルリエや、ヴァンセンヌ軟質磁器窯(後のセーヴル王立磁器窯)で陶工として働いていたクロード・ジェランら数人で共同設立された英国式陶器、及び軟質磁器窯は、ロココ調の曲線的なモデリングや植物文の作品を、陶器の可塑性を生かし、繊細かつ彫刻的に表現。王室からの評価も受け、パリ近郊における英国式陶器の20年の独占作陶権を獲得しています。

1788年に閉窯し、その後の再可動はありません。アンシャンレジーム期のフランスを象徴する陶磁器窯です。

また現在のフランス北東部、ロレーヌ地方(当時のロレーヌ公国領)には独自の工芸文化がありました。ロレーヌ地方のファイアンスフィーヌの作陶技法はテール・ド・ロレーヌとして個別に抽出して論じられることもあります。

1748年にに開窯した「リュネヴィル」、及び1757年にリュネヴィルの子会社として開窯した「サンクレモン」は
ロレーヌ公スタニスワフ・レシチニスキお抱えの陶器窯として、当時強い存在感を示しています。

他にも、リュネヴィル後発するかたちで、ロレーヌ地方に開窯し、1767年、オーストリア領ルクセンブルグのセットフォンテーヌに移転後、ハプスブルグ家 マリア・テレジアの庇護を受けることになった「ボッホ(現在のヴィレロイ&ボッホの前身)」、1770年代に、フランスのロココ様式の作陶を試みたスウェーデンの「ロールストランド」も著名です。

小規模な窯ではパリ近郊、ポントシュー特権範囲外に位置したソー、ロレーヌ地方のランヴェルヴィレー等。

総じて、王侯貴族が健在だった1700年代において、高額であった英国式陶器が国家の主権者の選択と集中により発展したことが、窯々の在りようを俯瞰して眺めると、窺い知ることができます。

刻印はないことが多く、意匠に独自性がある一部の陶器を覗けば、窯の推測はできても、特定までは至らないことが多いです。

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