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名の知られていない名陶器窯、セーヴル

 

パリの西部近郊に位置し、セーヌ川に面する閑静な町セーヴル。
磁器窯セーヴル焼きで著名な地に、19世紀初期にごく僅かな期間存在した陶器窯セーヴル。

地図(Click!

セーヴル焼きと直接の関係は見つけられていませんが、フランス革命によりセーヴル焼きの王立磁器窯が破壊されて一時閉窯した直後、1798〜99年に活動を開始したことや、初期の経営者が社名に「市民のための白釉陶器のマニュファクチュール – ユペ、ジェロ社 / Manufacture de terre blanche des citoyens Hupais, Gélot et Cie」と、市民の一語を翳していた時期があることを踏まえても、設立地の選定や経営方針に、フランス革命からの一連の流れがあったことは、容易に想像ができます。

主要な作陶が磁器ではなく、革命を勝ち取った市民(ブルジョワジー)のための陶器、ファイアンスフィーヌであったことも象徴的です。憶測の域を出ませんが、セーヴルは小さな町ですし、王立磁器窯の陶工や労働者の雇い入れ等もあったのではないでしょうか。

窯は1799年〜1815年まで、20年間弱という僅かな期間活動しました。1804年には、ナポレオン1世が磁器窯(後の国立セーブル製陶所)を再興しています。1815年の陶器窯閉窯の背景には、その影響が多かれ少なかれあったのであろうと思います。

いずれにせよ、セーブルのファイアンスフィーヌは希少で美しい。
パリの郊外という立地と活動期間から、その作陶感は初期のクレイユやシャンティに近しいものがあります。

彫刻的で洗練された初期ファイアンスフィーヌを作陶した忘れられし名窯と言えます。

写真の個体はセーブルの凹印が(Click!)されたミシェル=マリー・クラヴァロー経営時代の一品より。
1808〜1815年頃。

 

※ご売約済

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