Glassware / Item

Clichy “Champagne Flute”

 

複数回仕入れを重ねながらも、出自の分からなかったクリスタルガラスプロダクトのとある一群。

通底する固有の美感は、優雅でクラシカルな佇まい。モデリングにおいて、曲線の描きかたがやわらかく、各部位のディテールはきめ細やかに繊細。華奢な印象を受けることが多く、また古ガラスならではの民芸的表情もとても豊か。

バカラはアバンギャルドで骨太、サンルイはコンサバティブで実直。プロダクト生産における全体感としてそんな印象を受けているのですが、仕入れた品々の特性は二者のどちらとも異なっており、でありながら意匠や成形の質の高さは勝るとも劣らない。そしてそれらのプロダクトがもつ魅力は、クープラン的琴線に一等触れるものでもありました。

出自不明で触れてきた品々の多くが、1つの工房で成形されていたことを知ったのは、ごく最近のことです。

クリスタルリー・クリシー(Cristallerie de Clichy)。

1860年代には300人を超える従業員を擁し、生産数においてもバカラとサンルイに次ぐフランス第3の存在となりながら、19世紀後期の経営難や他社との統合、それに伴う公的なアーカイブの不運な喪失により、フランス国内においてすら存在を忘れられていた、当代屈指のクリスタルリー(=クリスタルガラス工房)です。

1948年に発刊されたクリスタルガラスに関する書籍『les Presse-Papiers Francais De Cristal』で、著者はクリシーについて下記のように述べています。

「パリにも程近く、かつ当時有名だったクリスタルリーが、その存在の物質的な痕跡を残さずに消滅したことは信じられないことです。」

クリシーの創業者ルイ=ジョセフ・マエスの子孫が、1990年代半ばから、10年以上の時間をかけて歴史・美術史家やコレクターとも協力して、400ページ以上に渡る工房史『l’histoire de la famille Maës et de la cristallerie de Clichy』を発刊したのが、2005年のこと。

それは忘却の彼方に置かれていた当代屈指のクリスタルリーに再び光をあてる偉大な作業でした。

日本ではまだその存在を広くは知られていないクリシーについて、クープランなりの視座から見つめ知り深め、ささやかにでもその魅力を紹介していくことができたら。

仕入れたグラスを眺め(そして思い返し)ながら、著作を読み耽る今日この頃です。

工房についての詳細も追って少しづつ記述できたらと思っています。

さて、本日の紹介はクリシーのシャンパンフルートです。
モデル・ポンパドゥール。推定1870-90年頃。クリシーらしさを存分に纏った素敵な一品です。

1880年代、クリシーはクリスタルリー・セーブル(Cristallerie de Sèvres)と統合することになりますが、そのセーブル社は、クリシーとの統合以前にクリスタルガラスの工房を創業地セーブルからムードンに移設しています。モデル名は、セーブルの新工房の基礎となったムードンの地の(ソーダ)ガラスの工房の創設指示者であるポンパドゥール夫人(ルイ15世の公妾)に、敬意を表して付けられたものです。

(モデル名は、デザイン時ではなく後年になって付けられたと考えられます。)

 

Crystal Glass (クリスタルガラス)

清らかな透明感、美しい輝き、高音の澄んだ音色。まるで天然の水晶のようなであることから、その呼び名で呼ばれるクリスタルガラスは、特に西洋では、装飾芸術としてガラスの価値を高めた存在です。

通常のソーダガラスより硬質で、溶解温度も低く抑えられるという特徴から、繊細なカットやグラヴィールをすることができますが、その成形には高度な知識や技術が必要です。

例えば歴史ある工房では、火を用いてクリスタルを吹く作業「ホットワーク」と、製品を研磨しカットや装飾を施す「コールドワーク」の、それぞれの工程に専門の職人がおり、フランスが世界に誇る著名なクリスタル工房バカラやサンルイは、同国の最優秀職人 M.O.F. (MEILLEUR OUVRIER DE FRANCE ) を多数輩出しています。

高品質なクリスタルガラス成型は、まさに伝統と技術の結晶です。

(ご売約済)

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