英国、ひいてはヨーロッパ近代陶器の礎。
産業革命のさなか、18世紀半ばから19世紀初頭にかけて、良質な陶器産地スタッフォードシャーで、他のヨーロッパ諸国に先んじて発展を遂げ、ヨーロッパ中の中上流階級の羨望の眼差しを向けられた英国陶器。
クープランで紹介を重ねているフランスのファイアンスフィーヌ(フランス語で上質陶器の意)も、その影響下で独自発展したものです。
ウェッジウッドにおいてはクイーンズウェアの名も翳したスタッフォードシャー製の「クリームウェア」は、一般にもその名を広く知られています。ですがウェッジウッド社の創設者ジョサイア・ウェッジウッドが経営者としてだけではなく、科学者としての一面を備えいたことにも象徴されるように、当時ヨーロッパの最先端を走っていた英国の上質陶器は、狭義のクリームウェアの枠には留まらない、多様性の宝庫でした[1]。
中産階級における中国磁器の代替品として需要を満たした「パールウェア(1779年以降)」、完全に白化した「ホワイトウェア(1808年以降)」、或いは亜種としての「ソルトグレーズウェア」「ジャックフィールド 様式陶器」等々。
クープランと英国上質陶器の交差点。その一端をここに記録します。
心惹かれたパールウェア。
3種類の茶器(ティーボウル)、及びタンカード(ビアマグ)です。
通底するパールウェアの特質は、素地にコバルトの顔料を用い、その上に白化粧をすることで施釉において綺麗で上品な発色を実現していること。低音焼成による淡く柔らかな陶肌も魅力だと思います。
パールウェアの作陶技法を当時の陶工たちは、中国釉と呼んだそうです。施釉のニュアンスや茶器というスタイルはもちろんのこと、輪花型、コバルトの上絵付け、印判技法等、東洋磁器からの確かな影響が細部に見て取れますね。
それでいてパールウェアというマチエールの美感と東洋的滋味の均衡からは、中洋折衷というよりは、羨望を近代的感性で昇華させた、当時の英国人独自のセンスを感じます。
ソルトグレーズ(塩釉)によるクリームウェアです。
ソルトグレーズウェアは、独特の上品な光沢と気品により当時の英国の中上流階級を魅了しました。ただ塩と釉薬の化学反応には偶発的な部分も多く、また窯の損傷が激しいため、1780年以降、近代英国陶器の作陶においては用いられなくなれました。心惹かれた、民芸的ノーブル。
鈍く鮮やかな、日本の漆器にも例えられることのある、18世紀英国の品格漂う美しい黒釉は、近代英国陶器の亜種として、ジャックフィールド様式と呼ばれます。
アイアンブリッジ峡谷近郊のちいさな村ジャックフィールドで、父リチャード、息子モーリス・サースフィールドにより生み出され、程なく英国工芸の最先端スタッフォードシャー州の窯々も追従・作陶しました。
1740〜1760頃と作陶最盛期が短く、非常に希少な器でもあります。
そして画像最後は、著名なウェッジウッドによる古手のホワイトウェアです。
実用器としての魅力は言わずもがなですが、多様なスタイルの英国陶器があるなかで、純白の施釉が “追い求めていた到達点の1つ” という作陶背景を学び知ると、陶工たちの苦心を想い、感慨もひとしおになります。
マニュファクチュア = 工場製手工業による初期の近代英国陶器は、18世紀半ばから、工場制機械工業への移行によりさらなる量産拡大へと舵を切っていく19世紀初頭ごろまでの、わずかな期間に作陶されました。ホワイトウェア等の一部技法を除けば、古物として個体数も多くはありません。
近代陶器としての明晰さや実直さに内包する文化の過渡期固有の儚く不安定な美しさ。
そこに陶工のパーソナルが混ざり生まれる器毎の個性。
生活古陶ならではの風通しの良さとの奥の深さ。
クープランとしても、もっと触れ、学び、知っていきたいなと感じています。
注釈
1.クリームウェアは狭義にはクリーム色の近代英国陶器を指しますが、広義には18世紀〜19世紀初期の近代英国陶器全般を指します。