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『Provence Noire』と作者の魅力的な人物像

1950年から構想が練られ、1955年に発刊された作品『Provence Noire』。

詩人、彫刻家、画家であったアンドレ・ヴェルデが文章を綴り、サン・ポール・ドゥ・ヴァンスの La Colombe d’or というホテルでヴェルデが出会った写真家、ジル・エアーマンがプロヴァンス地方の町や自然、人々を撮影した1冊で、本のカバーは、ピカソが描いたプロヴァンス地方の風景のスケッチが飾られています。

作品全体が雰囲気を纏っている大好きな1冊ですが、実は著者2人の人物については日本語の情報が多くなく、ここに少しご紹介させていただこうかなと思います。

 

 

プロヴァンスに生き、プロヴァンスに没した作家アンドレ・ヴェルデ

1913年ニースに生まれプロヴァンス地方、サン・ポール・ドゥ・ヴァンスに没した詩人、彫刻家、画家。

ナチス・ドイツの台頭するヨーロッパで中国へ派遣されるなど戦争に翻弄された10代半ばまでの時代を過ごした後に、病気の療養で故郷であったプロヴァンスに戻ることになり、執筆活動をスタート。

ヴェルデの作品の出版の仲介も行った作家ジャン・ジオノと、20代半ばで出会い友人となった詩人ジャック・プレヴェールに、ヴェルデ自身を加えたプロヴァンスに拠点を置く3人で詩集の出版を行ったりという活動をしていました。この3人の活動には後年、ジャン・コクトーも加わっています。

その後は第2次世界大戦でレジスタンス運動に加わりゲシュタポにより逮捕、収監。妻とも離婚する等、辛い時期を過ごします。フランス人の作家のなかでも大戦の影響を、強く受けている1人だと思います。

『Provence Noire』の製作が始まったのは、戦後になりヴェルデが地元プロヴァンスの地でようやく落ち着きを取り戻していた1950年。そのときの彼は30代後半ですが、すでに年齢以上の深い人生の経験経ていました。

本書はフランス語なのでテキストの読解は難しいかもしれませんが、下に紹介する写真の撮影を行った、当時20歳になったばかりの若者だったジル・エアーマンの抜擢と共著での出版が実現したのは、ヴェルデのもつ文化的成熟と余裕があったからこそだと思います。

ヴェルデはその後も、2004年に亡くなるまでその多彩な才能を遺憾なく発揮して、プロヴァンス地方の文化人の良き理解者であり続けながら、自身の創作活動を続けました。

 

写真家ジル・エアーマンの若き日の情熱

1928年メッツに生まれ。第2次世界大戦後の1945年からパリで装飾美術を学びました。戦時中はまだ若い青年でもあった、ヴェルデよりは1つ後の世代の人間です。

1950年に初めての写真の仕事としてアンドレ・ヴェルデと共著のための撮影を始め、それが『Provence Noire』として1950年に発刊されます。当時はまだ20歳そこそこでした。

成熟した作家と若い写真家による共著というと、作家ブーレーズ・サンドラールとロベール・ドワノーによる共著『La Banlieue de Paris (パリ郊外) 』が思い浮かびます。

 

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そんな若い彼が4年という長い歳月をかけて、学生時代に出会ったシュルレアリスムの影響も受けながらヴェルデと作りあげた『Provence Noire』。そこに映し出される写真は、撮ることへの熱量と、当時代的なクール客観性の双方が入り混じった、奥行きのあるものです。

当時のプロヴァンスの、日々日常の感覚では見ることのなかなか叶わない表情を見ることができて、思わず写真1枚1枚に手を止めてしまいます。

その後は、戦後以降、芸術品から写真がプレスや書籍、広告のためのものへと少しづつ変化していく中で、ジル・エアーマンは、戦後数十年の広告・報道写真の世界を支え続けました。『Provence Noire』はそういう意味では、彼の人生のなかでは特異な作品です。

ちなみに彼はその後は、例えばジャズピアニスト、ミシェル・ペトルチアーニの有名なアルバム『Michel Petrucciani』の写真撮影等を担当しています。音楽もとても素敵で、お勧めの作品です。

 

今の日本で、決して広く知られているというわけではない彼ら、ですがそんな2人の背後には、書籍へのカバーの挿絵と肖像写真というかたちで参加したピカソを中心に、さまざまな戦後当時のフランス文化やプロヴァンスの地の文化人の影がありました。『Provence Noire』は、当時の時代性があってこそ生まれた作品なのだと思います。

ぜひ手にとってゆっくりご覧いただきたいなと思える作品です。

 

※こちらの書籍は完売しました。

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