ヨーロッパの古いカトラリー
中世後期から近世初期に至る、ヨーロッパのカトラリーのささやかな記録
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中世〜近世ライン炻器
ライン川流域、ラインラント諸都市で中世以来育まれ続けてきた製陶文化ライン炻器の記録。
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ヨーロッパの古家具
ヨーロッパの古家具のささやかな記録
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フランス中部、ささやかな祈りの刺繍小品
心に響く古布は、見つけ難くも常々探しているモノの一つです。17世紀末〜18世紀初頭頃、フランスの刺繍小品。染料が抜けて絹は光を失い、針目も緩みながら、寧ろ時間が与えた質感にぐっと惹き込まれました。「Ste Jeanne – Reine de France」の銘から、ブールジュにおいてフランシスコ会の女子修道会を創立し、フランス王妃でもあったジャンヌ・ド・フランスがモチーフとなっていると判ります。フランス中部、ベリー地方(ブールジュ周辺)では16世紀初期の逝去直後から、永く聖女として崇敬の対象でした。
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過渡期のマチエール
夜明け前の蚤の市で、何十と積み重なっていた似た手の白皿の山を掻き分けて、選ばせてもらった一枚。 工芸品にははじまりがあり、古物には余韻があります。リム縁の輪線状の釉剥離と見込みのささやかな刃物痕。品のある釉調と造形に露出した地肌が混じり合った景色に、人の作為と自然な古色の邂逅を見ます。
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北フランスの民陶キュノワール
キュノワール。柔らかな赤褐色や淡黄色の陶土を素地として、「表面」を錫釉により白や灰色に、「背面」を酸化マンガンを含む釉薬により濃度を調整しながら飴色や漆黒に焼成させたフランス北部の古い雑器を指してそう呼びます。
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羊飼いのタブレ、或いは...
照りつける陽光の下、木々が光を反射していた。羊飼いはいつものように木陰を探すと、自前の小さな三本脚の腰掛けを据えて身をおろし、布に包んだ昼食をひろげる。固いパンとチーズ、干した果物。腰掛けを支えにして、小刀で力を込めてパンを割り、チーズを削る。刃先は木の座面をかすめ、またひとつ痕が増えた。
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安息香のための小薬壜
石畳がこつこつと鳴り、重い扉がぎしりと軋んで、薬種商はいつものように来客に気がついた。 喉に違和感があるという婦人の求めに応じ、この日も慣れた所作で調合は始まる。染みや汚れの浮いた古びた楢材の作業台。沿うようにして据え付けられた棚に並ぶラテン語で名の記された壺。彼はそのなかから幾つかを手にとり、杓で掬って秤の皿にのせ、手際よく混ぜていった。最後にちいさな小壜にすっと手をのばす。傾けた注ぎ口から数滴を垂らした。
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オーヴェルニュの聖母子像
蚤の市で自分の目の前に現れてくれたこと。どうのこうのもなく、ただその喜びで満たされながら、見つけた瞬間にはほとんど選ぶことを決めていました。 フランス、オーヴェルニュ地方の聖母子像。
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スウェーデン北東部のフォークロアチェア
特徴的な設計は、現地の好事家には「12本の横木椅子」を意味するトルヴスローストールの名で親しまれているそうです。スウェーデンのフォークロアチェア。 この類の椅子は、主にはスウェーデン北東部(バルト海沿い)、ヴェステルボッテンやヴェステルノールランドといった地方で18〜19世紀に盛んに作られ、地域の家庭や公共の場で愛用されてきたそうです。
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ピーテル・ブリューゲルの息遣い
かのピーテル・ブリューゲルが生きた時代・地域からもそう遠くはありません。 近世初期16世紀末〜17世紀初頭(1580〜1620年)頃、フランドル地方のピューター皿 装飾のない素朴で簡素な作りは、まさに彼が描いたような庶民に日常食器として当時用いられたものでしょう。ちいさな寸法ですし、恐らく銘々皿ですね。製造してから持ち主がサインを刻んでいることを踏まえれば、修道院やギルドといった共同施設内の棚に静かに並んでいたことまで想像できるでしょうか。沢山揃っていたうちの1枚なのかもしれません。乾いたパンの傍らには塩漬け肉、チーズ。眺めていると人々が集うささやかな食卓情景が浮かんできます。
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英国産とフランスらしさ
1810年代前後頃の単独クレイユ、あるいはモントロー窯。フランスでは植物採集装飾とも呼ばれる、樹枝がひろがったような有機的な草木風模様のちいさなコーヒーカップです。 特徴的な絵付けは17世紀末の英国で生まれました。色のついた酸性の絵付け用溶液が、焼成前の陶器本体を覆うアルカリ性の湿った釉薬に滴下することで一気に広がり、樹枝状のランダムな模様に変化します。絵付け用溶液は素地の釉薬(あるいは化粧土)に滲まないよう精緻に配合して作るのが本来ですが、その性質を逆に利用した技法です。
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羽をやすめたコロンブ
18世紀頃、フランスのカトリック教会より、コロンブの彫像です。 福音書において、鳩の姿をした聖霊が降りてくることは、神の存在とイエスの宣教の始まりを意味します。カトリックの伝統における三位一体ですね。「白い鳩(聖霊)」は、フランス語では一般的なピジョンと区別してコロンブと呼ばれ、純真と平和の象徴ともされ、一層重要な意味合いを歴史的にもってきました。
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カフェオレボウルのこと
さて、カフェオレボウルについて。 その歴史はじつは比較的浅く、食器として普及したのはせいぜい19世紀後期〜20世紀初期頃のことです。 19世紀半ばまでの農家において牛乳の利用は、保存の観点からバターやチーズの加工品が主でした。生産即消費の場合を除けば、直飲みすることは決して安全とはされていなかったなかで、かのパストゥールの低温殺菌法の発見や精製技術の向上にともない、その問題が解決したことで、ようやく牛乳を日常的に飲むことが一般化したそうです。
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16世紀、モンテルーポのマヨリカ焼きアルバレロ
静物としての佇まいに目を奪われながら、やわらかな表情とくぐもった色彩には素朴で控えめな気配があり、眺めているとすっと心は和らいでいきます。 16世紀末頃、イタリア北部フィレンツェ郊外、モンテルーポのマヨリカ焼きアルバレロ(薬草壺)です。
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17世紀、ピューター製ワイドリム皿
17世紀末、フランス。シャルダンが生まれる前、ヴェルサイユではルイ14世が絶対王政の栄華を極めている頃。個人的には、映画『めぐり逢う朝』で描かれた(それは想像を多分に含む物語とは解りつつ)サント=コロンブが生きた時代と思い馳せたくなります。
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中世末期、ブルターニュ女公の紋章
その特徴的な紋章は、ブルターニュ公国の女公であり、後にフランス王国の王妃ともなったアンヌ・ド・ブルターニュ(1477 - 1514年)をしるすものです。
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ノルマンディーのちいさな色彩木箱
19世紀、ノルマンディー地方の小さな色彩木箱です。 大きな寸法の作りがより広く知られ、それらはフランスの古物好事家たちに「コフレ・ド・マリアージュ」の俗称で呼ばれ親しまれています。その名の通り婚礼時に妻となる女性がリネンやハンカチ、リボン、首・頭飾りといった身の回り品を収めて嫁いだとされます。勿論、そうした機会も多かったはずですが、実際には土産物として求められたり旅用のトランクにされたり、より市井の人々に暮らしに根差した存在だったようです。
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18〜19世紀、ムスティエ、及びヴァラージュ焼の歩み
フランス南東部プロヴァンス、コートダジュール内陸の山岳地帯に位置するちいさな村ムスティエ=サント=マリー(以下ムスティエ)で代々陶器製造を営んできたクレリシー家の家内制手工業の拡張に端を発し、同地近郊は、18〜19世紀と通じてのプロヴァンス地域、ひいてはフランスにおける近代ファイアンス産業の中心地の1つとなりました。
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ささやかな個人美術とプリミティブ
脚や取っ手のない筒状の縦型グラス器、所謂現代のタンブラーは、フランスでは、飲み込む、丸飲みすることをを意味する「Gober」が語源とした「ゴブレ」の名称で、古くから日常食器として用いられてきました。時代や地域、そして身分・階層によって銀、ピューター、木、ガラスと素材もさまざまです。
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19世紀、南フランスの黄釉雑器
北方のカンタルやサヴォワ地方にも似た手の造りが見られますが、絵付けの筆触と彩度や背面の処理から、南フランス、ガール県サン=カンタン=ラ=ポトリ及び周辺で作陶されたもの。
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暖かさを彩る
18世紀の北フランス。フランドル文化圏より、肉・魚を焼き上げるための錬鉄製グリルです。 日々家族が集って、寒い冬になれば身体をよせあい団欒の時間を過ごし、ハードな仕事を終えて空腹になったならご馳走を調理する。暖炉は、古くから家の中心で人生の暖かさをつかさどってきた、たいせつな存在でした。
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キュノワール、カルヴァドスのための
19世紀末頃、簡素な佇まいが好ましい、掌に収まる程にちいさな筒形のキュノワール。北フランス固有の美質を嗜みながら、茶器や酒器として、控えめな素朴は和のしつらえに馴染む親しみが感じられました。
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中世象嵌タイル
推定14〜15世紀頃、フランス中部ロワール川流域より、建築床材として用いられた象嵌タイルは、4枚を合わせ並べることで八弁の円花文となります。ローマの時代から建築装飾として好んで採りいれられ続けてきたロゼットモチーフを構成する一片です。
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ノルマンディーの親密な緑釉器
フランス北西部、ノルマンディー地方内陸カルヴァス地域より。 19世紀の食料保存器です。 近郊で作陶された工芸品としてはより広く知られたキュノワールの陶器と比べても生産圏が狭く、地域性の濃度を一層つよく感じます。主には酸化銅の特性を活かした緑釉は、日本の織部と似た焼成です。古くは建築用瓦・タイルの製造で知られ、当時、生産の中心だった地名をとり「(ル・)プレ・ドージュの陶器」とも呼ばれます。
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家内製窯業のほとりに佇む
親密なフォークロワ。テラコッタ製の鳥型シフレ(笛)です。 ヨーロッパ各地で、古くは中世の頃から窯仕事の合間をみて、土産物や玩具の1つとして陶製の笛は造られ続けてきました。そこに専門性があったことは少なく、製作は本業を終えた日暮れ以降に行われることが常だったそうです。鋳型の製造を除けば力仕事ではないことから、盛年の男性は除き、女性や高齢者、加えて母に教わった子供たちが作業に携わり、笛の販売は僅かながらも家計を助ける副収入でした。
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レジニエ、好事家の蒐集品
18世紀のフランスより、暗がりにちいさな灯りを投げかけた錬鉄製の燭台は、ろうそくが高価な時代に、火のついたモミや松の木切れを挟み、たいまつのようにして用いることも想定し設計された、古き時代の素朴な生活道具です。
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18世紀英国、ジャックフィールド陶器
初期の近代英国陶器における亜種。 ジャックフィールド様式による黒釉陶器は、1710年代にアイアンブリッジ峡谷近郊のちいさな村、ジャックフィールドで、父リチャード、息子モーリス・サースフィールドの親子により生み出されました。
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意匠の模倣と伝播
1800年代前期のショワジールロワ窯より。 同時代のクレイユ窯で、当時の英国人ディレクターのジャック・バグナル(バニャル)が手掛けたと言い伝えられている月桂樹文様。藍色が知られていますが、黒色は初見でした。
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ペクソンヌ、不意の独自性
ペクソンヌ窯。現在の市場で見つかるのは、主にはフェナル・フレール(1857年頃より)ブランドの個体でしょう。特に1870年以降、普仏戦争の影響でサルグミンヌの街からペヌソンヌへと逃れてきた陶工たちが従事したことで、村の製陶業は小規模ながらも確かな発展を遂げ、最盛期を迎えました。
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グリニー、多層的な誘い
リヨンからローヌ川に沿って約20キロ南郊外に位置するアルボラスに1829年に創業した陶器窯は、1837年には近隣のグリニーに第2の窯を開き、その後も様々な変遷を経ながら、1960年代まで作陶を続けました。 ローヌ川のふもとに位置し、良質な水源に恵まれていることに加え、フランス革命後、リヨンからサンテティエンヌへと鉄道が走ったことで製品輸送における利便性を得たことが、窯設立において同地が選ばれた理由でした。
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プロヴァンス民陶、アプト焼
18世紀半ばの勃興以来、アプト、及び近隣カステレの村で地場産業として拡がっていったアプト焼。 リュベロンの山間に差し込む強い陽光に下、プロヴァンス家具との親和性のなかで育まれた健康でおおらかな気配。同時にノーブルな優雅さを湛え、「カタチ」の高い精度が全体の美観を支えています。土地の気候風土が生んだ資質に、革命以後の世相に沿った都市型の卓上器としての発展が重なり、固有の魅力は育まれました。
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