Item Note

北フランスの民陶キュノワール

 

Il ne manque plus à ma chère patrie que […]  et de se jeter à la tête la faïence à cul noir sur laquelle elle mange, après avoir vendu sa vaisselle d’argent.

わが愛しき祖国に残されていることといえば、(中略)そして銀食器を売り払ったあとには、食事に使っているキュノワールを互いの頭めがけて投げつけ合うことくらいです。

『ヴォルテール書簡集』より、1759年12月3日付け デュ・デファン宛

 


 

キュノワール。柔らかな赤褐色や淡黄色の陶土を素地として、「表面」を錫釉により白や灰色に、「背面」を酸化マンガンを含む釉薬により濃度を調整しながら飴色や漆黒に焼成させたフランス北部の古い雑器を指してそう呼びます。

キュはフランスの卑俗な口語で尻のことで、転じて(瓶などの)底部の意味があります(例:cul de bouteille = 瓶底)。ノワールは黒色のこと。キュノワールとは、背面が黒い陶器のことを雑器らしく俗語で表わした工芸用語です。

錫釉よりも比較的安価で、かつ耐熱性(直火ではなく主には窯焼き)を確保するための熱膨張率も低いという性質が、調理用陶器としての実用性を高めたいという民意とも合致し、18世紀初期にノルマンディー地方ルーアンで用いられるようになったマンガン釉は、やがて表面の美観と全体の費用削減を折衷させた現在「キュノワール」と呼ばれる作陶方法を確立。19世紀にはノルマンディー近郊から、ボーヴェ地方(現在のオワーズ県)やロワール川流域に至るまで、北フランスの広範で作陶されるようになりました。

冒頭の一節は、かのヴォルテールが、同年10月末に実施された金銀製食器の造幣局への持ち込み(改鋳)要請や、それに連なる財政緊縮策を皮肉って知人に書いた書簡からの抜粋。彼は同時期に、金銀食器と比較しながら複数回キュノワールについて書簡内で言及していますが、前時代のムスティエ焼きと同様に、キュノワールが国の金融措置の影響によって(少なくとも当初は必要に迫られて)都市生活者の需要を増やしていったのだろうことが、リアリティをもって感じていただけるでしょうか。

キュノワールは、その後は市民革命をあいだに挟みつつ、約100年かけてフランス北部の地方都市や農村部へと拡がっていきます。所謂、ファイアンス焼きの亜種に位置付けてよい存在ですが、その手法が周辺の国々には殆ど普及しなかったにも関わらず、他方で国内では広範な地理的拡散(ノルマンディー~パリ~ロワール)があり、それでいて作域の揺らぎが相対的に小さいという特質は、キュノワールを近代北フランスの代表的な民衆的雑器たらしめているように感じます。

 


 

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