個人的なことになりますが、自分が石に魅了されるようになった背景には、十年に渡ってフランスへ通い続けた経験があるのは間違いありません。
南フランスの中世の街々では、石は土地の身体そのものになっていて、石の塊のなかを自分自身が移動しているような感覚さえ覚えます。或いは均質で秩序立ったパリのオスマニアン建築を眺めていると、洗練された石のソナタを聴いているような心地に浸れます。
自然や霊性に寄り添うような日本の石の魅力に、若い時分に十分気づけなかったのは、感性が未熟だったからなのでしょう。けれど、青年期の終わりから成人期へと移っていく時期に、生活の地面や壁として古くから残り、人の歴史を沈着させながら、今も街の肌として当たり前に生きているフランスの石のなかで過ごす時間が持てたこと。そのおかげもあって、石がこれほど感情を持つ素材だったのかと気づくことができたように思うのです。
写真は、南フランスで仕入れた屋根材として用いられただろう一枚の薄い石板です。
規格化する以前の手割りの石板で、フランスの中央山地南部〜ピレネーの一帯から出てきたものと伝え聞いています。
堆積した自然の深みを湛えながら、どこかモダンで、清廉な気配を纏っていることに強く惹かれました。薄い作りで、重たさと軽やかさが不思議と均衡を保っています。灰のなかの、風雨が生んだ錆びたような茶の滲み。ひびや剥離といった堆積した時間の痕。風化したものがもつ有機的なゆらぎや生々しさが、石ならではの硬さや静けさと、自然と溶け合っているように感じます。
中世以来のフランスでは、厳しい雨風に耐えるための石板の屋根材が、適した石の採れる地域で盛んに用いられてきました。近世以前において石板は、その重量ゆえに運搬可能な範囲が限られていたことから、広く流通した建材というより、産地の地質と強く結びついた、地産地消の材料だったようです。
石板屋根が多く見られる地域は、アンジュー、ブルターニュ、アルデンヌなどの産地周辺のほか、コースやセヴェンヌを含む中央山地南部、さらに一部ピレネーなどの山地・高原地帯。また、この種の石板はフランスでは、薄いものをアルドワーズ(Ardoise)、厚く重いものをローズ(Lauze)と呼び分ける慣習があることも今回学びました。もっとも、その境目は厳密な石の種類の差というより、地域ごとの呼び方や土地の建築文化に支えられた、いわば地方名としての性格が強いようです。
規格化された小ぶりなものを見たことはありましたが、初めて見惚れた大きな石板屋根です。むろん、こうしたものは建材を再利用するような市場では見つかるのものなのかもしれませんし、古物市場ですら珍しくはないのかもしれません。見識が浅いなかで、そんな考えも頭をよぎらなかったといえば嘘になりますが、それでも目の前のそれに惹かれたこと、気づけたこと、ただそれだけで十分に思えました。
手間や価値といった一切は傍へ置いて、持ち帰ってきた一枚です。
年代|不詳(19世紀以前)
生産|南フランス
