Furniture Note

Table d’Atelier

 

 

朴訥とした佇まいと幾何学的な調和、やわらかな詩情。過去、実際にどのように用いられたのかは詳らかには判りませんが、今回に於いては空想を空想のまま捉えることに心地よさすら覚える、そんなアトリエテーブルを蚤の市でパリ在住のディーラーから譲ってもらいました。

単純な時代の古さや材の上質さというような価値基準は煙のようにふっとどこかに消えていて、それでも惹かれ続ける感性との出会いは、稀有だからこそ尊く一際愛おしいです。

混じり合う仕事の痕跡と枯れた古木の肌合い。心のなかに住み絵を描く名のない画家の傍らに、このテーブルが置かれています。

作りの妙を伝えるために個別で写真に収めましたが、きっと他の物々と溶け込んでこそ美しさが一層立ちあがるでしょう。

蚤の市が始まってすぐに馴染みでもあるディーラーのクレモンが展示什器として美しく使っているのを見て惹かれてはいたのですが、寸法的に発送ができないと仕入れは諦めていました。ひとしきりその日の仕事を終えて帰路につく間際、彼と話をしたときに「本当はそのテーブルも欲しいのだけれど日本に送れないんだ」と世間話のつもりで冗談めかして伝えたところ——なんと折り畳み式であることを教えてくれました。

限られた条件下での意匠性への拘りという事実にも特筆すべきものを感じますし、当たり前かのように折り畳んだ際の寸法も最小限で一切の無駄はなく、それであってこそ郵便小包で日本に送ることは叶いました。

譲ってもらう際には「これはいつ頃の時代のどんなものなの?」と少し前のめりに問いかけて、やや怪訝に「わからないけれど美しいものだ」と応えたクレモン。ようやく穏やかに向き合えている今だからこそ、あのときのクールな彼の目の色、言葉の温度を自然な態度として捉えられていますし、気も引き締め直しています。

同業者の多く行き交うような蚤の市で、まっさらで純粋な思考を維持し続けることには実際は困難もありますが、惑わせてくるのが古物なら、気づかせ立ち止まらせてくれるのもまた古物であり、古物を介した他者との対話だから、そんな経験もまた仕入れ旅のたいせつな思い出です。

 


 

年代|1900年頃
生産|フランス
地域|パリ広域圏

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