疫病によるフランスへの渡航制限の継続は、今のクープランにさまざまな影響を与えています。
そのなかでも、もっとも大きなもの。それは、仕入れ金額の落ち込みというような数値的なことではなく、これまで仕入れをするにおいて必ず伴っていた店主である自分の「身体性」と「他者と感応し合うなかで醸成される精神性」の欠如なのだ、と改めて感じています。
疫病がはやる以前まで、クープランでは、ほとんどの仕入れを、自分がフランスに赴くことで現地で直接行なっていました。
何時間もかけて訪れた田舎町の小さな蚤の市でたった一つ見つけた、あるいは馴染みのたいせつなフランス人の友人から譲りうけた、そんな品々を日本の誰かの手元に届けるということ。
現地の気候風土に触れ、そこに住む人々と顔を突き合わせてコミュニケーションをとり、その機微に耳を澄ませながら、手元に古物が揃い、クープランという総体は立ちあがっていく。
そこにおいて古物はメタファーとなります。
歴史や文化という「時間」を纏い、作り手から使い手まで、「人」の気配が色濃く残る『古物』を専門に扱い、紹介しているからこそ、個人的に大切にしてきた、クープランなりの1つのプロセスです。
経験値とインターネット社会における情報網を駆使すれば、一定の仕入れはできます。それは疫病下、現在のクープランの暫定的な仕入れスタイルにもなっています。けれど、それは現地での仕入れとは質が異なっているということに、自覚的でありたいと思っています。
(2019年は5度、フランスに渡航しました。2020年は2月、9月の2度のみの渡航となりました。)
今、意識しているのは「自己の内面から醸成される精神性」と向き合うことです。
情報のみでやり取りをする機会が増え、既知であることを頼りに、記号的(希少だから良い、売れないから良くない、この窯は有名で云々、というような)な仕入れをしてしまいそうにすらなる自らを律して、とても単純なハナシですが、「心から好きになる」ことを、より素直に追い求めています。
少し別の角度から視れば、フランスでの現地仕入れには瞬発力が必要ですが、持久力を生かした日本での仕入れを試みているとも捉えることができるかもしれません。
古物商は、表現や創造という行為からはやや距離のある仕事です。クープランの第一義的な役割も、フランスの文化、空気、物そのものの魅力を伝えるということだと思っています。それは変わりません。
けれど、これまでより一層深く、自己の内面に潜りこみながら仕入れ作業をすることが、確かで自然な質的変容をクープランにもたらしています。
明確な可視化・言語化にまで到っている領域は僅かだったとしても、仕入れの選択における境界線を、常に点検し、見定め続けることは、クープランがクープランとしての高い純度を保ち続けるためには不可欠です。
頭脳をエンジンに、身体と精神が両輪となり、前へと進むことはできます。
もちろん、店主として最良な行いを熟慮し、過程で自己を強く投影させども、店というのは自存をしているし、物も、主観を交えず物として只在れるという自由さをいつまでも失うことはありません。
古物を介して、誰かの心と共鳴し合うことは自分にとって掛け替えのないご褒美のような瞬間ですが、店で紹介している品々をどう捉え、どう選びとっていただくかは、一人一人の想いや考えに委ねたいとも同時に考えています。
ただ、ひとまずクープランというのはそんなふうにして紡がれ、今、成り立ってます。
フランスへの渡航と現地仕入れが通常通りに再開したときの、経験を糧にした新しいカタチとは、どんなふうなものだろう。
2021年への期待と想定をしながら。
2020年12月30日
疫病下、年の暮れに寄せて