1725年頃に貴族ルイ4世アンリ(コンデ公)の指示よりパリ北の郊外に位置する街シャンティーにできた陶磁器窯。

主には王侯貴族を顧客とした「軟質磁器」の窯として知られ、1700年代初期には日本の柿右衛門風磁器を、中期にはマイセン風磁器を作陶しました。それらは現代では博物館に並べられるような美術品として取り扱われます。

その後、1792年頃より、当時の経営者クリストフ・ポッターの主導により、貴族、そして新興する有産階級まで顧客層を拡げて「ファイアンスフィーヌ(上質なファイアンス陶器)」の作陶を大々的に開始。ですがそのたった10年後、1802年に、当時の窯のディレクターであったジャック・バグナルが、近隣の街にあったファイアンスリー、クレイユに能力の高い労働者や職人までをも引き連れて転籍したことで窯は急速に衰退。その名は歴史から消えていくことになります。

王侯貴族に向けてごく僅かな作陶が行われた軟質磁器。
発展を試みながらも窯が衰退し、結果的にごく短期間の作陶に終わったファイアンス陶器。

そのどちらもが、貴族的な佇まいがありながらもどこか儚げな、希少で美しい骨董品です。