1743年〜1788年、パリに存在したファイアンスフィーヌ、及び軟質磁器の窯。
特に初期の貴族的なファイアンスフィーヌ製陶における名窯として知られます。
1740年代頃より、英国から流入した「クリームウェア」に倣った英国式の陶器が、フランスのパリや、ロレーヌ地方(当時のロレーヌ公国)で作陶されるようになります。後世において「ファイアンスフィーヌ」と呼ばれることになる陶器文化の興りです。当時、フィーヌは「薄い」という意味で、フランスで作陶された英国式陶器の特徴を表すにおいて用いられることがあり、それが独自発展を遂げるなかで、「上質」という意味に転換され、ファイアンスフィーヌの一語として定着しました。
きめ細かな陶肌。白、あるいは象牙色を素地にして、ごく薄い透明釉を施し低温焼成したフランスの上質陶器ファイアンスフィーヌの歴史は、大きく2つに分割して説明することができます。
即ち1700年代半ば〜後期、革命以前、アンシャンレジーム(旧体制)における『貴族的なファイアンスフィーヌ』と、1800年前後頃、革命以後の市民社会における『ブルジョワ的なファイアンスフィーヌ』です。
パリのポントシューは、1743年、パリに工房を構えていた陶工エドメ・セルリエや、
ロココ調の曲線的なモデリングや植物文の作品を、陶器の可塑性を生かし、繊細かつ彫刻的に表現。王室からの評価も受け、
1788年に閉窯し、その後の再可動はありません。
瀟洒でいて儚げな、アンシャンレジーム期フランス貴族の工芸を象徴する存在です。