年代|14世紀末〜15世紀世紀半ば頃
生産|ムーズ川流域(リエージュ司教領/ナミュール伯領、現ベルギー南部)起源
素材|ラテン/錫引き
寸法|15cm
高貴な人ならひとつのスプーンを、
共同で使ってはいけない。
それが上品な人の作法なのだ。
というのも、それでよく下品だという評判が立つからだ。
——ノルベルト・エリアス『文明化の過程』
(赤井 慧爾/中村 元保/吉田 正勝訳, 法政大学出版局)
汁気のある煮込みは一つの鉢に盛られ、各人がめいめいのスプーンで交互に掬い、固形物は三本指(親・人差し・中)でつまんで、小指と薬指は汚さず清潔に保つ。現代とは異なる規範で洗練された、中世の嗜みです。
紹介は14世紀末〜15世紀半ば頃、中世末期の一本。
打ち出しによる薄造りの簡素な佇まいは繊細で、全体は淡く朽ちかけながらカタチを留めています。製作当時は錫引き(錫によるコーティング)されていたと考えられ、土中で錫層が剥落して地がのぞいています。
中世の息遣いと時間が育てた表情の心地よい均衡に惹かれました。
冒頭の一節は、エリアスが13世紀、ドイツの礼儀作法書を引きながら論じたもの。主として銀スプーンを用いる宮廷の人々について語られた作法なので、今回のラテン(真鍮系の銅合金)製のスプーンは、商人や職人といった都市の中間層によって、きっともう少し緩やかな意識で用いられたのでしょう。
出土事例と文献を横断していくと、14〜15世紀の北西ヨーロッパ(英・蘭・独・仏)の広域で、同手のスプーンが使われていたことが読みとれます。
フランス北部の作と記されていることが多いですが、いくつかの資料から、現ベルギー南部、ムーズ/マース川流域の街ディナンと、対岸の街ブヴィニュで、中世後期に黄銅(ラテン)器産業が栄え、精巧な黄銅工芸はディナンドリーと呼ばれ親しまていたことを学びました。
当時、他の地域では黄銅器の製造が限定的だったため、製品はフランドルの中核都市ブリュッヘ/ブリュージュを通じてハンザ同盟の商流に乗って、北西ヨーロッパの広域に運ばれました。1466年、ディナンの街が破壊され、職人・技術が周辺へ拡散したという事実も、以降に各地の地場生産が増加したことと符合します。亜鉛の製錬、抽出する技術が一般化したのは16世紀に至ってのことだったようです。
黄銅板材として運ばれ、別の土地で最終加工された可能性は考慮に入れるべきですが、いずれにしてもこのスプーンが、ムーズ川流域からの長い流れに連なる一本である可能性は高いでしょう。
ルーツについては、フランス北部というは広義の捉え方になりますね。より適切には、ムーズ川流域(リエージュ司教領/ナミュール伯領、現ベルギー南部)でしょうか。
