
仕入れ仕事を終えた後、つかの間の夕刻、あてもなくローヌ川沿いの小さな村を散策する道すがらで目に留まった、趣味が良さそうなレストランの窓壁に貼られた「ショパンとプルースト」なる掲題のチラシ。
よく読んでみると、ショパン自身が所有したことでも知られる19世紀(1835年)製、パリ・プレイエル社のピアニーノ(小型アップライトピアノ)を用いながら、プルーストとの関係性を巡るコンサートが行われるようで、しかも開演は当日、約1時間後程とのこと。突然の誘いでしたが、この機会は逃したくないと心赴くまま足を伸ばしてみました。
ショパンを演目に、プルースト『失われた時を求めて』より朗読と解説。優しい語りを交え、古いプレイエル社のピアニーノと現代シュタイングレーバー社のピアノを弾き比べながら紡がれていく豊かな時間。
フランス語でのプルースト理解はさすがに苦し紛れも越えていましたが、ほんのひと月かふた月前の日本で、プルーストの音楽的嗜好に関するテクストに触れる機会があったことは幸運でした。
内省的なノクチュルヌやプレリュード、親密でノーブルな音遣い。殊に楽しみにしていたプレイエル社ピアニーノによる演奏では、今という時代から遡って視る過去への郷愁に留まらず、後年にロマン派として括られるショパンが、実際には古典派からの流れこそを汲んでいるという当時における現代性に、個人的な想いが及びました。
この種の楽器で、ベートーヴェンやモーツァルトを弾く、そういう音楽家としての日常の営みがあり、その延長で数々の曲は生み出されたという事実を身体ですっと汲みとり感じられたのは、オリジナルのアンティークピアニーノの生演奏を、当時さながらの小さなスタイルで聴く時間が持てたからでしょう、きっと。
そんなショパンはプルーストが描く19世紀後半においては時代おくれと看做されており…云々。
そして今では、2人はパリの同じ地に眠る。
古き時間を点ではなく線で捉えていたいし、そこに想像力を働かせたら、向き合うことの愉しみにも豊かさにも果てはありません。
公的掲示はあったけれど、スマートフォンの地図で道路が表示されないような村はずれの丘の上にあるメゾンでのコンサートは、想定した通り、馴染みの紳士淑女たちが集うプライベートサロンのようで、迷い込んだエトランジェは子羊の気分でしたが、南仏らしい温かな歓待に救ってもらいました。
終演後のティータイムでは、メゾンに揃う18〜19世紀、アンティークピアノのコレクション、壁に飾られた沢山の絵画に垂涎。帰路の折には現実感も朧げで、人けのない暗がりのなか夢見心地に。不思議に導かれた異国での夜でした。