赤茶けたファサードの奥、仄かな薄暗さと乾いた空気。
開いているのが土曜日の午後と日曜日のみということもあり、仕入れの日程までずらして漸く訪問が叶ったボローニャのヴィア・フォンダッツァ。モランディのアトリエ。
画家の気配が残る室内では、些細でたわいもないはずの壺や壜が、手元に集ってきたことは自然で必然であったかのようにして親密にならび、そうして互いにたのしそうに語りあっていました。
社会的な価値基準では取るに足らないとされる(きっと自分には蚤の市で見つけ出せないような)物々は、実際は意味を纏っていないことにはっきり意識を向けた作為ある選択の集積のはずですし、それにアトリエが当時のままの状態かと言われれば、ボローニャ市によって現代的で清潔な改装が為されたことは知られているところで、それ以前であってこそという意見もあるのだと思います。けれど実際に訪れてみて、あれこれ抱えていた事前知識はすうっと洗い流され、彼のパーソナリティただそれだけが心深くに入りこんできました。
日常の静物を繰り返し描いたなかで生まれる時間の流れや物の存在感。対象を見つめ尽くした先に彼は何を見ていたのだろう。
かつて家があり、そこに住んだ画家がいたという身体的な実感。胸の内にあたたかな明かりが灯る、作品鑑賞とはまた異なる得難い経験でしたし、その後の美術館で以前よりまっさらな心持ちで彼の絵と向き合えたのも、人と作品を一直線で捉えられたからなのだと思います。
自分自身は画家ではなく骨董屋で、歴史的な物語・背景を詳らかにすることへの興味関心を強くもっていますが、同時に殊に店を通してアウトプットするにおいては、意味を希釈しないと立ち上がらない領域を自覚するなかで、矛盾を孕みながら両輪で人生を走らせるということについても、改めて見つめ直すよい機会にできました。


















