Item / Pottery

Chantilly Assiette en Faience fine

 

説明不要で見惚れる美しさと背景にある時代の空気感。
シャンティイ作陶、1790 – 1805年頃。

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フランス革命前のポントシュー製陶所を軸とした作陶初期の貴族性と、革命後のクレイユやモントローを軸とした作陶最盛期のブルジョワ性との狭間で、二世代を「橋渡し」をするかたちで、ごく短期間に存在感を示したシャンティイのファイアンスフィーヌです。

パリ郊外北40キロ、かのシャンティイ城城主としても著名なコンデ公の命により、王侯貴族を顧客とした軟質磁器の作陶から始まった窯は、革命の動乱(1789 – 1795年)のさなか、1792年頃から、英国人経営者クリストフ・ポッターの主導により、台頭する有産階級の市民まで顧客層を拡げて、ファイアンスフィーヌの作陶を行うようになりました。

ですがそのほんの10年後、1802年、ポッターも経営を離れていたなかで、当時の窯のディレクターであったジャック・バグナルが、近隣の街にあった窯クレイユに能力の高い労働者や職人までをも引き連れて転籍したことで、シャンティイは急速に衰退、同時に工芸史の中心も他の窯々に取って代わられていきました。

後世に比べると一層儚げな陶胎とゆららかな美しい象牙色の施釉には、前時代の貴族的なファイアンスフィーヌのニュアンスを、他方、左右対象な八角形のモデリングと細やかに配された菱形のレリーフ装飾には、新古典主義を踏襲した新時代のブルジョワ的なファイアンスフィーヌの気配を感じます。

静かで彫刻的な佇まいは、全世代のファイアンスフィーヌに通底する美質です。

王立セーヴル磁器窯やポントシュー製陶所に比べれば、革命の直接的な打撃は少なかったなかで、貴族の庇護の延長で敏腕経営者が参入したことで示した先見性・独自性と、時勢に押されやがて失われていくことになる影響力。

狭間に生まれたシャンティイの器には、時代の過渡期性が写し鏡のように宿っています。

 


 

Size: W24.9 × D23.2cm

(ご売約済)

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