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Items / Pottery

Creil Assiette dit de Bagnal

 

1800年代初期のクレイユ窯作陶。
コバルトの月桂樹をさりげなくあしらった端正で愛らしいファイアンスフィーヌの手彩絵皿です。

パリの貴族や有産階級を顧客に作陶されていた時代、初期クレイユならではの上品な戯れ。デコレーションは当時、窯でディレクションを行っていた英国人ジャック・バグナルが、彼の母国のデルフト陶器(イングリッシュ・デルフト)からリソースを得て出がけたものと思われます。

以前にも幾度か取り扱ったことがありますが、久しぶりに見つけました。この種の皿としては、寸法がやや小さめに設計されていることが嬉しく、ティータイムに添えたくなります。

テール・ド・ピップによる清廉な白を染める、自然な使い込み具合も好ましいです。

 

個体A〜Fまで6枚ございます。備考欄に希望の個体をお書き添えください。
(入れ違いで売約の場合はご容赦ください、ご注文後にお知らせさせていただきます。)

A、B、C、D、E → 売約済

 

 

Creil (クレイユ)

1797年、パリの北に位置する郊外の街クレイユに、アイルランド出身のパリの実業家ロバート・ブライ・オライリー (Robert Bray O’Reilly) なる人物が、クリスタルのガラス製造から事業の変更をするかたちで開いた陶器窯。1802年、隣町シャンティーの窯のディレクターであった英国人ジャック・バグナル(バニャル)が、能力の高い労働者や職人を引き連れて転籍。窯経営に参画し、英国風の上質陶器製陶を開始したことで、クレイユは急速に発展していきました。

18世紀末から19世紀初期にかけて、フランスで独自発展した英国風上質陶器は「ファイアンスフィーヌ」と後世に呼ばれることになりますが、当時のファイアンスフィーヌ製陶文化においてクレイユ窯は中核を為しました。

単独のクレイユとしての作陶品は1800年代半ば頃まで存在。1819年にクレイユの所有者、サン・クリーク・カゾーがモントロー窯を買収、やがて2つは完全に合併をし、クレイユエモントロー社となります。クレイユエモントローは、ファイアンスフィーヌから、より量産可能なテールドフェール製陶へとシフトし、引き続き19世紀末まで、フランスの陶磁器生産を牽引していきます。

地図(Click!

 

Jacques Bagnall (ジャック・バグナル, 1762-1825)

1800年代前後にパリ周辺の陶磁器窯で活躍をした英国人。北フランスのドゥエ、パリ北部のシャンティイでの陶器工場従事を経て、1802年から亡くなる直前まで合併前最盛期のクレイユ窯のディレクターを担いました。

19世紀初期のフランス陶芸文化には多くの英国人の影響が見られますが、そのなかでも強い存在感を見せている人物の1人です。

 


 

約 φ21cm (前後数ミリの個体差があります)

(ご売約済)

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