品のあるハンドルデザインだけでなく、スプーンのつぼやフォークの爪といった細部にも、クラシックスタイルをベースに細やかなニュアンスが加えられている。
クープランとして心惹かれた、美しいプロポーションのエルメスの銀カトラリー。調べてみたところそれは、ルイ・ラヴィネとシャルル・ダンフェルなる2人の人物が19世紀末にパリに創業した、ラヴィネ・ダンフェルというオルフェーヴルリー (Orfèvrerie = 銀細工工房) で作り出されたものであることがわかりました。
パリ3区のタンブル通りにアトリエを構え、20世紀半ばまで創業者一族によって経営の続けられてきたオルフェーヴルリーは、1900年代エルメスの銀細工調度品の多くの製作を手がけていたようです。
19世紀以来、フランス国内に数多存在したオルフェーヴルリーの「各々固有」の存在意義というのは、ことカトラリーという分野においては、手工業から機械工業への移行を経て均質な塗銀や量産が比較的容易になっており、かつモデリングに前時代までの伝統デザインの影響が強く一定程度の規格化が為されていたからこそ、作りの細部に、本当に微細なニュアンスとして潜んでいるなと感じます。
くだんの一品は自分自身も初見でしたが、玉石混交、無数のカトラリーデザインを見てきた身として、クラシックでいて装飾的、かつ双方が過不足なく落とし込まれながらも時代を感じさせない佇まいには、その希少性と共に強く心を惹かれました。
一古物商として銀カトラリーというのは、前述した伝統デザインや、或いはクリストフル (フランス随一のオルフェーヴルリー) の定番デザインを主に安心・信頼を感じながら仕入れることは多いですが、クープランと共鳴するセンスに「驚きと共に巡り遭える」ということは少なく、そこもまた嬉しかった所以です。
実はこちらの銀カトラリーについては、出会ったときに自分が見立てた、ある2つの仮説を外していしまっています。1つはモデリングをしたのがエルメス内部のデザイナーだと考えたこと、もう1つは受託生産をしたのがクリストフルではないかと予測したことです。
仕入れ後に調べ判明した、モデリングから生産までを一貫して今では名もなき小さなオルフェーヴルリーが行っていたという事実は驚きでしたが、と同時にエルメスの精神を思えば、自然と腑に落ちるところでもありました。
エルメスは、その名声が世界的なものになってもなお、職人技の維持を社の第一義としており、それがフランス国内における熟練したメチエ・ダール (Métiers d’Art = 芸術工芸、仕事の技術・芸術の意) の文化の継承にすら寄与しているのは周知のこと。注1
ラヴィネ・ダンフェルの仕事の良質さは、たった一種類のカトラリーだけ見ても伝わってくるところが明確にあり、その関係が前述のエルメスの精神の延長線上にあったことは想像に難くありません。
創業者ティエリー・エルメスが開いた馬具工房を母体に、2代目シャルル・エミール、3代目エミール=モーリス、以後脈々と続いてきた同族経営というスタイルも、ラヴィネ・ダンフェルとの共通項ですね。
ラヴィネ・ダンフェルについての詳細は掴み切れていない部分もあるため、引き続き調査を進めていきたいと思っています。そのためコラムは、現時点での個人的な見解も含んだものにはなりますが、この銀カトラリーには、アルチザナルなオルフェーヴルリーによる美しく豊かな仕事に対する誇りと、エルメスだからこそ持ち得た古き職人たちへの敬意、慧眼、及び素地にある確かな経営力とが手を取り合った、幸福な繋がりの記憶が内包されているのではないのか、そんなことを今は思っているところです。
*1. エルメスは、20世紀末になってすら、リシュモン(カルティエ・クロエ等)や、LVMH(ルイ・ヴィトン・フェンディ等)といったコングロマリットに比べても、買収先や資本提携対象が、職人技術の維持を優先した比較的小規模なものであることがよく知られてます。