ファイアンスフィーヌと古手のオクトゴナル皿
1800年代初期頃を主としたごくわずかな時代に作陶されたファイアンスフィーヌの古手のオクトゴナル皿は、多くの古物好きの心を掴んで離さない魅力ある存在です。
比較的作陶数の多かったクレイユ、モントローといった窯だけでなく、あるときは独自に、あるときは模倣をし合いながら(例えば窯の経営者の転籍や、陶工の独立が、製法の伝播・変容の一因でした)、フランス各地で行われた相当数の作陶。
華美な気配を覗かせながらも、上品で抑制されたモデリング。絵付けや銅板転写等による柄のないシンプルなものであっても、陶土やリムデザインから窯・年代毎の個性が感じられる器は、そこに時を経て生まれた風合いが加わり、各々がたった1つの存在となります。
ここまで似て非なるバリエーションを持つ同種の器は、この時代のフランスには他にありません。
そんな1800年代初頭のフランスならではの空気を纏った骨董品「古手のオクトゴナル皿」の背景を少しだけ紐解いてみようと思います。
ファイアンス フィーヌ、市民社会台頭直後の空気感
ファイアンス フィーヌ(仏: Faience Fine)。
それは1800年前後のフランス陶器を語る際には、ごく大切な一語です。
ファイアンスとは淡黄色の土の上に錫釉をかけ完成させる焼き物のことで
近世以降のフランスの主だった陶器製造法はこの「ファイアンス焼き」でした。
そんなフランスに、1700年代半ば、当時ウェッジウッドを筆頭に陶器製造の最先端国だった英国の「クリームウェア(クイーンズウェア)」が流入し、貴族の羨望の的となりました。
ですがブルボン王室によりその製造技法は特定の窯のみの特権とされ、また国内で採取できる陶土の違いもあり、英国式クリームウェアをフランス各地で作陶することは困難だったそうです。経営者や陶工たちはそうした環境化、1789年以降のフランス革命という激動をも乗り越え、伝統的なファイアンス焼きと英国クリームウェアの狭間での技術開発を続け、貴族や有産階級の人々の心を満たす、フランスならではの美しい陶器を作り出しました。
きめ細やかで品のある陶肌と、指で弾いた時の耳心地良い響き。
白、あるいは象牙色を素地にして、錫釉を施し低温焼成した繊細で軽やかな上質陶器。
それがフランスの「ファイアンスフィーヌ」です。
国王による保護が行われた初期の英国風陶器から、クレイユやモントローで作陶されたテールドピップ、或いはテール ド ロレーヌ、ビスキュイ等、細かくはさらに詳細な作陶技法に分類されます。
そしてそのファイアンスフィーヌによる作陶のなかで、革命後の1780年頃より、もっとも好んで取り入れられたのがオクトゴナルモチーフでした。
知性と理性に訴えかけてくる秩序ある安定したフォルムを基盤にしながらも、その奥に垣間見えるファイアンスフィーヌの典雅で豊かな感性。かのナポレオンが愛用したともされる流行の器は、王侯貴族の没落がありながらも、彼らへの憧れがまだまだ残り香として確かに存在する、そんな市民社会台頭直後のフランスの時代性を多分に含んだ存在だと思います。
ですが時流の変化は世の常です。革命を経て市民社会の台頭がより顕著になり、英国から遅れるかたちでやってきた産業化の波の中で、1830年代以降は、徐々により量産向きの半陶半磁器(≒テールドフェール)に取って代わられることになりました。
ファイアンスフィーヌによる美しい古手のオクトゴナル皿。それは当時のフランス人が苦心の末に生み出し、ごく僅かな期間にだけ生産された、儚げな骨董品です。
(補足)
※広義には1830年代以降に発展する半陶半磁器による作陶もファイアンスフィーヌの一種とされますが、より磁器の性質が強いため、分けて捉えられることが多いです。couperinでもフランスの慣習に従い、狭義のファイアンスフィーヌを解説しています。
※同時代、南フランス等のフランス中心部とは異なる陶芸文化を歩んでいた地もありますが、ここではパリやロレーヌ地方等を中心としたファイアンスフィーヌ文化についてのみを解説しています。
生産背景
現代までの約200年間のフランス中心部における陶磁器製造は、それぞれが重なり合っている時期もあり多少大雑把なものにはなりますが、大凡下記の3つに区分されます。
(1) 1700年代半ば – 1830年代頃
ファイアンスフィーヌ全盛期 / 少量生産 / 各地に大小様々な窯が点在
(2) 1830年頃 – 1900年代初頭頃
半陶半磁器の勃興 → 全盛期 / 産業革命過渡期 / 少量生産から量産体制整備へ
窯の合併、淘汰、株式会社化等
(3) 1900初頭以降
作陶方法の多様化 / 大量生産期 / 陶器会社の更なる合併や淘汰
上記の3期間うち、 (1) の時期、 1700年代半から1830年代頃に作陶されたものを
couperinでは「古手のオクトゴナル皿」というふうに読んでします。
そして恐らく時代の流行もあったのでしょう。実はそれだけフランス各地で多様な作陶が見られたオクトゴナル皿は、(2) の時期、1830年代頃から1900年代初頭頃の所謂白釉の半陶半磁器による作陶はほとんど見られません。
その後、再びオクトゴナル陶器製造が行われるのは、(3) の時期、1900年前後まで時代が下ってから。
所謂クレイユエモントロー、或いはサルグミンヌによる復刻品です。
流行と時代の断絶。それが古手のオクトゴナルの希少性や唯一性に繋がり
現代の私たちが探し出し、収集する愉しみをも与えてくれているのだと思います。
主要な陶器窯
フランス各地で作陶されたオクトゴナル皿ですが、比較的生産数が多かった陶器窯がいくつかあります。
共通するのはパリ近郊に位置しており、比較的大きな規模を誇ったこと。
ファイアンスフィーヌによるオクトゴナル皿を作陶した主要な陶器窯を紹介します。
パリ近郊の外れ、南東に位置する街モントローにかつて存在。1800年代半ばに左記クレイユと合併。1700年代半ばから1800年代半ばまでのファイアンスフィーヌ作陶期に長く時代の中核をなした窯の1つ。
パリ北部シャンティイに存在した陶磁器窯。1800年代初期に窯のディレクターが近隣の街、クレイユに労働者と共に転籍したことで窯は衰退。ファイアンスフィーヌの作陶は、1790年代から1800年初期のごく短期間。
1821年にフランス内陸部ロワール地方の街ジアンに、直前までモントローの経営を行っていた実業家が創業した陶器会社。後発の窯らしく実直で、それでいて美しい白釉のファイアンスフィーヌを作陶します。
※窯の刻印は複数存在するため一例です。
※シャンティイは本来は磁器生産が中心だったため、磁器窯と主に総称されます。
いかがでしょうか。
パリの骨董屋で、南仏のマーケットで、珍しさに惹かれて手に取りこそしても、クープランとして仕入れるかどうかの1番の基準は時代性や希少価値にはありません。
現代的な目線での美しさと、今の日本の暮らしに自然に溶け込んでくれるか。そんな想いで仕入れた品々は実用品的な側面が大きく、例えばより高価な美術品や博物品を扱う骨董商と比べれても、クープランの存在はごくカジュアルなものだと思います。そういった意味では、モノの奥にある文化背景は、クープランにとってはあくまで枝葉の要素とも言えます。
けれど軽やかさがあるからこそ手に取りやすい骨董品が、知識欲を呼び覚まし、遠く異国の地の文化や歴史を知る切っ掛けとなったら、それはとても幸せな跳躍になるのではないかな。そんなことを想います。
店と博物館の要素が同居したクープランを通して紹介する古手のオクトゴナル。思い思いの1点をぜひ見つけてみてください。
記事はアンティーク陶器を通じた経験と複数の書籍を参考に、でき得る限りの事実確認を行った上で
作成していますが、あくまでクープランによる一見解としてお読みいただけますと幸いです。
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