19世紀、南フランスの黄釉雑器
北方のカンタルやサヴォワ地方にも似た手の造りが見られますが、絵付けの筆触と彩度や背面の処理から、南フランス、ガール県サン=カンタン=ラ=ポトリ及び周辺で作陶されたもの。
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暖かさを彩る
18世紀の北フランス。フランドル文化圏より、肉・魚を焼き上げるための錬鉄製グリルです。 日々家族が集って、寒い冬になれば身体をよせあい団欒の時間を過ごし、ハードな仕事を終えて空腹になったならご馳走を調理する。暖炉は、古くから家の中心で人生の暖かさをつかさどってきた、たいせつな存在でした。
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キュノワール、カルヴァドスのための
19世紀末頃、簡素な佇まいが好ましい、掌に収まる程にちいさな筒形のキュノワール。北フランス固有の美質を嗜みながら、茶器や酒器として、控えめな素朴は和のしつらえに馴染む親しみが感じられました。
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中世象嵌タイル
推定14〜15世紀頃、フランス中部ロワール川流域より、建築床材として用いられた象嵌タイルは、4枚を合わせ並べることで八弁の円花文となります。ローマの時代から建築装飾として好んで採りいれられ続けてきたロゼットモチーフを構成する一片です。
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ノルマンディーの親密な緑釉器
フランス北西部、ノルマンディー地方内陸カルヴァス地域より。 19世紀の食料保存器です。 近郊で作陶された工芸品としてはより広く知られたキュノワールの陶器と比べても生産圏が狭く、地域性の濃度を一層つよく感じます。主には酸化銅の特性を活かした緑釉は、日本の織部と似た焼成です。古くは建築用瓦・タイルの製造で知られ、当時、生産の中心だった地名をとり「(ル・)プレ・ドージュの陶器」とも呼ばれます。
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家内製窯業のほとりに佇む
親密なフォークロワ。テラコッタ製の鳥型シフレ(笛)です。 ヨーロッパ各地で、古くは中世の頃から窯仕事の合間をみて、土産物や玩具の1つとして陶製の笛は造られ続けてきました。そこに専門性があったことは少なく、製作は本業を終えた日暮れ以降に行われることが常だったそうです。鋳型の製造を除けば力仕事ではないことから、盛年の男性は除き、女性や高齢者、加えて母に教わった子供たちが作業に携わり、笛の販売は僅かながらも家計を助ける副収入でした。
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レジニエ、好事家の蒐集品
18世紀のフランスより、暗がりにちいさな灯りを投げかけた錬鉄製の燭台は、ろうそくが高価な時代に、火のついたモミや松の木切れを挟み、たいまつのようにして用いることも想定し設計された、古き時代の素朴な生活道具です。
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18世紀英国、ジャックフィールド陶器
初期の近代英国陶器における亜種。 ジャックフィールド様式による黒釉陶器は、1710年代にアイアンブリッジ峡谷近郊のちいさな村、ジャックフィールドで、父リチャード、息子モーリス・サースフィールドの親子により生み出されました。
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意匠の模倣と伝播
1800年代前期のショワジールロワ窯より。 同時代のクレイユ窯で、当時の英国人ディレクターのジャック・バグナル(バニャル)が手掛けたと言い伝えられている月桂樹文様。藍色が知られていますが、黒色は初見でした。
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ペクソンヌ、不意の独自性
ペクソンヌ窯。現在の市場で見つかるのは、主にはフェナル・フレール(1857年頃より)ブランドの個体でしょう。特に1870年以降、普仏戦争の影響でサルグミンヌの街からペヌソンヌへと逃れてきた陶工たちが従事したことで、村の製陶業は小規模ながらも確かな発展を遂げ、最盛期を迎えました。
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グリニー、多層的な誘い
リヨンからローヌ川に沿って約20キロ南郊外に位置するアルボラスに1829年に創業した陶器窯は、1837年には近隣のグリニーに第2の窯を開き、その後も様々な変遷を経ながら、1960年代まで作陶を続けました。 ローヌ川のふもとに位置し、良質な水源に恵まれていることに加え、フランス革命後、リヨンからサンテティエンヌへと鉄道が走ったことで製品輸送における利便性を得たことが、窯設立において同地が選ばれた理由でした。
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プロヴァンス民陶、アプト焼
18世紀半ばの勃興以来、アプト、及び近隣カステレの村で地場産業として拡がっていったアプト焼。 リュベロンの山間に差し込む強い陽光に下、プロヴァンス家具との親和性のなかで育まれた健康でおおらかな気配。同時にノーブルな優雅さを湛え、「カタチ」の高い精度が全体の美観を支えています。土地の気候風土が生んだ資質に、革命以後の世相に沿った都市型の卓上器としての発展が重なり、固有の魅力は育まれました。
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メネシー、控えめな18世紀的フランスの感性
18世紀中庸、1738〜1765年頃。ルイ15世治世下、シャンティイ、サンクルーと並び、フランス革命前のパリで王侯貴族の心を喜ばせたメネシー・ヴィルロワの軟質磁器。古手の軟質磁器には、主要顧客の嗜好ゆえ、絢爛華美な多彩の器も多いですが、柿右衛門様式による伊万里焼き、或いはドイツ、マイセン磁器の伝統に倣い、少数ながら作陶された藍絵単彩の器が、個人的には、古色と現代的な風通しの良さの塩梅よく、ごく心惹かれます。
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名の知られていない名陶器窯セーヴル
パリの西部近郊に位置し、セーヌ川に面する閑静な町セーヴル。磁器窯セーヴル焼きで著名な地に、19世紀初期にごく僅かな期間存在した陶器窯セーヴル。セーヴル焼きと直接の関係は見つけられていませんが、フランス革命によりセーヴル焼きの王立磁器窯が破壊されて一時閉窯した直後、1798〜99年に活動を開始したことや、初期の社名において「市民のための白釉陶器のマニュファクチュール – ユペ、ジェロ社 / Manufacture de terre blanche des citoyens Hupais, Gélot et Cie」と、市民の一語を翳していた時期があることを踏まえても、経営における設立地の選定や方針に、フランス革命からの一連の流れがあったことは、容易に想像ができます。
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わからない愉しさと美しさ
マチエールがステップを刻む。えも言われぬ施釉の表情と、全体を構成する優美を整えたモデリング、刻まれた古色。 出自不明。ファイアンスフィーヌの作陶技術を基盤に持ちながら、同時により伝統的なファイアンス陶の要素も取り入れ、けれど目指す先は、やがて確立される新時代の半陶半磁器にある気がする。現代的フランス工芸史観では焦点が定まらない浮遊感を、現代的価値観に即した美意識が統御している。必然なのか、偶然なのか。
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初期ファイアンスフィーヌの追憶
盛者必衰。1700年代半ば〜後期に作陶された初期のファイアンスフィーヌに個人的に感じるのは、権威的でありながらも儚げな美しさです。 1700年代初期のフランスの中上流階級の人々が用いた食器には、主として「ファイアンス製陶器(淡黄色の土の上に白濁した錫釉をかけ完成させた厚手の焼き物)」と、限られた貴族のみが所有することができた超高級な「磁器」「銀器」がありました。
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サマデ、辺境の固有性
サマデ。フランス南西部、ボルドー近郊で1730〜1830年代の約100年間という僅かな期間に存在した小さな村のファイアンス。 18世紀フランスのファイアンス(陶器)において、ヌヴェールやムスティエ、ルーアンといった窯々と比べると、知名度は低く、模写・模倣の要素が強い装飾器や無加飾の白釉器であれば、自分を含めた日本人はもちろん、現地フランス人にも、ムスティエ、或いはヴァラージュ「辺り」と括られ掲示されることが多いのだろうと思います。
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19世紀、北フランス、民衆生活の匂い
19世紀初期の北フランスで、射撃大会のために作られようになったことが発祥と言い伝えられている番号付きの陶製カップ。若い数字から順に大きな寸法で作陶され、大会表彰の際に成績上位者が、順位に即した番号のカップに注がれたワインを飲んだのだそう。 同時にこの種のカップは、ライン川沿いの居酒屋や農場跡地で大量に発見された記録が残っています。大会の成績上位者用としてはかなり大きな番号のカップが存在することからも分かるように、発祥の逸話は1つの説で、実際には個々人のカップの識別が必要となる多様なシーンで用いられたようです。
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フォルジュレゾー、ノルマンディーのファイアンスフィーヌ
フォルジュレゾー。現存個体が元より少数、かつ作陶品の多くが無刻印で窯特定も困難なことから、日本ではまだあまり名前を知られていないのですが、19世紀初期に、良質なファイアンスフィーヌを作陶した陶器窯です。 1797年、窯は1人の英国人によって開かれました。ジョルジュ・ウッド。シャンティイやクレイユの製陶ディレクターを務めた記録も残っている人物です。シャンティイ、クレイユ両窯の経営陣にも英国人が携わっていましたが、この時代のフランス工芸に影響を与えた英国人の強いネットワークが感じられます。
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上質陶器、イタリアにおける一片のカタチ
19世紀中葉、イギリスで生まれた上質陶器クリームウェアの作陶技法は、ファイアンス・フィーヌとして認知度も高いフランスだけでなく、ヨーロッパ大陸を横断し、主権国家が形成せんとしている時代のイタリアにも伝播していました。
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ノルマンディ・ブルターニュ地方、農民のための
ブイィ・ド・サラザン(そば粉のお粥)。19世紀初期頃まで、冷涼でやせた土地でも収穫できるそばの実を挽いた粉から作るお粥は、素朴な家庭料理として、ノルマンディやブルターニュ地方の土地の農民たちの主食の1つであり、同時に希少な栄養源にもなっていました。 19世紀の鉄道発達により飼料確保が容易になったことで、改良・発展されていったそば粉のクレープ、ガレット・ブルトンヌは広く知られていますが、ブイィ・ド・サラザンは現地の人々にとっても、今では殆ど馴染みがない存在なのだそう。写真は、そんなかつての農家料理を食すために作られた真鍮スプーン。
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17世紀フランス、ヴェール・ド・フジェール
儚さと隣り合わせの危うい美しさには、ワインを愉しむというかつての朗らかな日常が内包されている。このグラスにワインが注がれていたこと。想像するだけで心踊ります。17世紀フランス、当時の気配をそのままのかたちで残した、素晴らしい状態のヴェール・ド・フジェール(羊歯ガラス)です。
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初期フランケンタールより
作陶から経営に到るまで万事に影響していた独仏の複雑な国境線争い。古物は文脈を持ち、歴史を纏っているということを染み染みと感じます。1755年頃、ドイツ、フランケンタール磁器窯で作られた古手硬質磁器の水差し。
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1950〜60年代初期バカラについての雑感
オールドバカラ、そんなふうにひと括りに記号化されることも多いですが、実際には年代ごとに各々の美質や纏う気配があります。50-70年代初期頃のバカラ。量産と流通(加えてコンプライアンス強化)という世界的な潮流が同社にも押し寄せ、作りの簡略化が少しづつ行われていたことが個々のプロダクトを見ると感じる時代でもあるのですが、そうしたなかでモダンデザインの流れを汲んだ無加飾のバカラテーブルウェアについてだけは、個人的にごく心惹かれます。
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初期近代英国陶器、奥深さの一端
近代英国陶器史の礎。良質な陶器産地スタッフォードシャーで、かのウェジウッドを筆頭に、18世紀半ばから19世紀初頭にかけて作陶された上質陶器。 その奥深さの一端。クープランとの交差点の記録。
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古物を扱う理由 (わけ)
1930年代、古い家族写真の束の中から、名もなき子供たちの暮らしの一片。 それは戦間期と呼ばれる時代。大恐慌とファシズムの台頭に見舞われていたヨーロッパは、やがて第二次世界大戦へと突入していくこととなる。彼らにどんな未来が待ち受けているのか、それは僕には分からない。 けれどシャッターが切られたこの一瞬には、確かな幸せが詰まっている。
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女性のための服飾小物、古き文化のかけら
18世紀末から19世紀初頭ごろ、市民革命を経た第一帝政期 (ナポレオン1世治世期) より、上流階級の女性の衣服において、王政期のパニエ入りの大きなドレスが否定され、肌着を省略したよりタイトなシュミーズ・ドレスが流行しました。それにより腰に巻きつけてドレスの内側に隠していた "ポケット" がなくなったため、貴重品入れを手に提げる必要性が生まれ、「レティキュール (Réticule)」と呼ばれることになる、小さなメッシュバッグが女性のファッションとして取り入れられるようになりました。
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ファイアンスフィーヌ、古手のオクトゴナル皿
1800年代初期頃を主としたごくわずかな時代に作陶されたファイアンスフィーヌの古手のオクトゴナル皿は、多くの古物好きの心を掴んで離さない魅力ある存在です。 比較的作陶数の多かったクレイユ、モントローといった窯だけでなく、あるときは独自に、あるときは模倣をし合いながら(例えば窯の経営者の転籍や、陶工の独立が、製法の伝播・変容の一因でした)、フランス各地で行われた相当数の作陶。 華美で貴族的な佇まいがありながらも、上品で抑制されたモデリング。絵付けや銅板転写等による柄のないシンプルなものであっても、陶土やリムデザインから窯・年代毎の個性が感じられる器は、そこに時を経て生まれた風合いが加わり、各々がたった1つの存在となります。
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FAIENCERIE FILE No.1:Choisy le Roi
18〜19世紀にかけてフランスに勃興した大小様々な陶磁器窯。ごく有名な場合を除けば日本語の資料も乏しく、普段はなかなか詳細に語られることの少ない、そんな窯の出自や生産背景をまとめ、クープランのサイトにアーカイブ化する試みをしてみようと思います。初回はパリ近郊で19世紀に栄えた「ショワジー ル ロワ」のささやかな年代記です。
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